ざいましょう。女房たちの間には、忍び笑いの声が起りましたが、侍が続いて、
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は機織《はたお》りぞ啼く。」と、さわやかに詠じますと、たちまちそれは静まり返って、萩模様のある直垂《ひたたれ》を一領、格子の間から月の光の中へ、押し出して下さいました。実はその侍と申しますのが、私《わたくし》の姉の一人息子で、若殿様とは、ほぼ御年輩《ごねんぱい》も同じくらいな若者でございましたが、これを御奉公の初めにして、その後《のち》も度々|難有《ありがた》い御懇意を受けたのでございます。
まず、若殿様の御平生《ごへいぜい》は、あらあらかようなものでございましょうか。その間に北の方《かた》も御迎えになりましたし、年々の除目《じもく》には御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。それよりも先を急ぎますから、最初に御約束致しました通り、若殿様の御一生に、たった一度しかなかったと云う、不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう。と申しますのは、大殿様とは御違いになって、天《あめ》が下《した》の色ごのみな
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