えじき》を覗う蜘蛛《くも》のように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。

        二十六

 が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を束《つか》ねて、見て居《お》る訳には参りません。そこで水干《すいかん》の袖を後で結ぶと、甥の後《うしろ》から私も、小屋の外へ窺《うかが》いよって、蓆の隙から中の容子を、じっと覗きこみました。
 するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》でございます。それが今は、向うの蓆壁にかけられて、形ははっきりと見えませんが、入口の菰《こも》を洩れる芥火《あくたび》の光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月蝕《げっしょく》か何かのように、ほんのり燦《きら》めいて居りました。またその前に横になって居りますのは、昼の疲れに前後を忘れた摩利信乃法師《まりしのほうし》でございましょう。それからその寝姿を半蔽《なかばおお》っている、着物らしいものが見えましたが、これは芥火に反《そむ》いているので、噂に聞く天狗の翼だか、それとも天竺《てんじく》にあると云う火鼠《ひねずみ》の裘《けごろも》だかわかりません。――
 この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から沙門《しゃもん》の小屋を取囲んで、そっと太刀の鞘《さや》を払いました。が、私は初めからどうも妙な気おくれが致していたからでございましょう。その拍子に手もとが狂って、思わず鋭い鍔音《つばおと》を響かせてしまったのではございませんか。すると私が心の中で、はっと思う暇《いとま》さえなく、今まで息もしなかった菰だれの向うの摩利信乃法師が、たちまち身を起したらしいけはいを見せて、
「誰じゃ。」と、一声|咎《とが》めました。もうこうなっては、甥を始め、私までも騎虎《きこ》の勢いで、どうしてもあの沙門を、殺すよりほかはございません。そこでその声がするや否や、前と後と一斉に、ものも云わずに白刃《しらは》をかざして、いきなり小屋の中へつきこみました。その白刃の触れ合う音、竹の柱の折れる音、蓆壁の裂け飛ぶ音、――そう云う物音が凄じく、一度に致したと思いますと、矢庭に甥が、二足三足|後《うしろ》の方へ飛びすさって、「おのれ、逃がしてたまろうか。」と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳《は》ねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿《うちぎ》を肩にかけて、まるで猿《ましら》のように身をかがめながら、例の十文字の護符《ごふ》を額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙門《しゃもん》の身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙《すき》がございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙《ねら》いが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々|喘《あえ》ぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭《かしら》の上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描《か》いて居りました。

        二十七

 その中に摩利信乃法師《まりしのほうし》は、徐《おもむろ》に身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
「やい。おのれらは勿体《もったい》なくも、天上皇帝の御威徳を蔑《ないがしろ》に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法衣《ころも》のほかに蔽うものもないようじゃが、真《まこと》は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居《お》るぞよ。ならば手柄《てがら》にその白刃《しらは》をふりかざして、法師の後《うしろ》に従うた聖衆《しょうじゅ》の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。」と、末は嘲笑《あざわら》うように罵りました。
 元よりこう嚇《おど》されても、それに悸毛《おぞけ》を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐《めが》けて斬ってかかりました。いや、将《まさ》に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭《かしら》の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色《こんじき》が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私ど
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