小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主《おぬし》の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解《げ》し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算《つもり》なのじゃ。」
 私が不審《ふしん》そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚《はばか》るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
 これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの乞食《こつじき》法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作《ぞうさ》はありますまい。」
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門《じゃしゅうもん》を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜《むこ》を殺すとでも申そう。――」
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉《か》りて、殿様や姫君を呪《のろ》うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」
 私の甥は顔を火照《ほて》らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色《けしき》さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流《おながれ》になってしまいました。

        二十五

 それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星月夜《ほしづくよ》の事でございましたが、私は甥《おい》と一しょに更闌《こうた》けてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心算《つもり》もなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河原蓬《かわらよもぎ》の露に濡れながら、摩利信乃法師《まりしのほうし》の住む小屋を目がけて、窺《うかが》いよることになったのでございます。
 御承知の通りあの河原には、見苦しい非人《ひにん》小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白癩《びゃくらい》の乞食《こつじき》たちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡入《ねい》って居《お》るのでございましょう。私と甥とが足音を偸《ぬす》み偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆壁《むしろかべ》の後《うしろ》にはただ、高鼾《たかいびき》の声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一所《ひとところ》焚き残してある芥火《あくたび》さえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙《けぶり》をあげて居ります。殊にその煙の末が、所斑《ところはだら》な天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
 その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加茂川《かもがわ》の細い流れに臨んでいる、菰《こも》だれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、「あれです。」と、一言《ひとこと》申しました。折からあの焚き捨てた芥火《あくたび》が、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古蓆《ふるむしろ》の屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標《しるし》が、夜目にもいかめしく立って居ります。
「あれか。」
 私は覚束《おぼつか》ない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容子《ようす》もなく、じっとその小屋を見守りながら、
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈太刀《いよいよたち》へ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤《しめ》しますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌食《
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