確か、ある花曇りの日の昼中《ひるなか》だったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神泉苑《しんせんえん》の外を通りかかりますと、あすこの築土《ついじ》を前にして、揉烏帽子《もみえぼし》やら、立烏帽子《たてえぼし》やら、あるいはまたもの見高い市女笠《いちめがさ》やらが、数《かず》にしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部《わらべ》も交って、皆|一塊《ひとかたまり》になりながら、罵《ののし》り騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大神《おおかみ》に祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂闊《うかつ》な近江商人《おうみあきゅうど》が、魚盗人《うおぬすびと》に荷でも攫《さら》われたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰々《ぎょうぎょう》しいので、何気《なにげ》なく後《うしろ》からそっと覗《のぞ》きこんで見ますと、思いもよらずその真中《まんなか》には、乞食《こつじき》のような姿をした沙門が、何か頻《しきり》にしゃべりながら、見慣れぬ女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》を掲げた旗竿を片手につき立てて、佇《たたず》んでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面《つら》がまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法衣《ころも》でございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、頸《くび》にかけた十文字の怪しげな黄金《こがね》の護符《ごふ》と申し、元より世の常の法師《ほうし》ではございますまい。それが、私の覗《のぞ》きました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智羅永寿《ちらえいじゅ》の眷属《けんぞく》が、鳶《とび》の翼を法衣《ころも》の下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
 するとその時、私の側にいた、逞しい鍛冶《かじ》か何かが、素早く童部《わらべ》の手から竹馬をひったくって、
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと吐《ぬか》したな。」と、噛みつくように喚きながら、斜《はす》に相手の面《おもて》を打ち据えました。が、打たれながらも、その沙門《しゃもん》は、にやりと気味の悪い微笑を洩らしたまま、いよいよ高く女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》を落花の風に飜《ひるがえ》して、
「たとい今生《こんじょう》
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