御一人で、御消息などをなさる時は、若殿様を楽天《らくてん》に、御自分を東坡《とうば》に比していらしったそうでございますが、そう云う風流第一の才子が、如何《いか》に中御門の御姫様は御美しいのに致しましても、一旦の御歎きから御生涯を辺土に御送りなさいますのは、御不覚と申し上げるよりほかはございますまい。
 が、また飜《ひるがえ》って考えますと、これも御無理がないと思われるくらい、中御門の御姫様と仰有《おっしゃ》る方は、御美しかったのでございます。私が一両度御見かけ申しました限でも、柳桜《やなぎさくら》をまぜて召して、錦に玉を貫いた燦《きら》びやかな裳《も》の腰を、大殿油《おおとのあぶら》の明い光に、御輝かせになりながら、御※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《おんまぶた》も重そうにうち傾いていらしった、あのあでやかな御姿は一生忘れようもございますまい。しかもこの御姫様は御気象も並々ならず御闊達《ごかったつ》でいらっしゃいましたから、なまじいな殿上人などは、思召しにかなう所か、すぐに本性《ほんしょう》を御見透《おみとお》しになって、とんと御寵愛《ごちょうあい》の猫も同様、さんざん御弄《おなぶ》りになった上、二度と再び御膝元へもよせつけないようになすってしまいました。

        七

 でございますからこの御姫様に、想《おもい》を懸けていらしった方々《かたがた》の間には、まるで竹取《たけとり》物語の中にでもありそうな、可笑《おか》しいことが沢山ございましたが、中でも一番御気の毒だったのは京極《きょうごく》の左大弁様《さだいべんさま》で、この方《かた》は京童《きょうわらんべ》が鴉《からす》の左大弁などと申し上げたほど、顔色が黒うございましたが、それでもやはり人情には変りもなく、中御門《なかみかど》の御姫様を恋い慕っていらっしゃいました。所がこの方は御利巧だと同時に、気の小さい御性質だったと見えまして、いかに御姫様を懐《なつか》しく思召しても、御自分の方からそれとは御打ち明けなすった事もございませんし、元よりまた御同輩の方にも、ついぞそれらしい事を口に出して、仰有《おっしゃ》った例《ためし》はございません。しかし忍び忍びに御姫様の御顔を拝みに参ります事は、隠れない事でございますから、ある時、それを枷《かせ》にして、御同輩の誰彼が、手を換え品を換え、いろいろと問い落
前へ 次へ
全50ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング