ながら、空を飛びめぐっているような、ちっとの隙《すき》もない睨《にら》み合いがずっと続いて居りました。が、前にも申し上げました通り若殿様は、すべて喧嘩口論の類《たぐい》が、大御嫌《だいおきら》いでございましたから、大殿様の御所業《ごしょぎょう》に向っても、楯《たて》を御つきになどなった事は、ほとんど一度もございません。ただ、その度に皮肉な御微笑を、あの癖のある御口元にちらりと御浮べになりながら、一言二言《ひとことふたこと》鋭い御批判を御漏《おも》らしになるばかりでございます。
 いつぞや大殿様が、二条大宮の百鬼夜行《ひゃっきやぎょう》に御遇いになっても、格別御障りのなかった事が、洛中洛外の大評判になりますと、若殿様は私《わたくし》に御向いになりまして、「鬼神《きじん》が鬼神に遇うたのじゃ。父上の御身《おみ》に害がなかったのは、不思議もない。」と、さも可笑《おか》しそうに仰有《おっしゃ》いましたが、その後また、東三条の河原院《かわらのいん》で、夜な夜な現れる融《とおる》の左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御卻《おしりぞ》けになった時も、若殿様は例の通り、唇を歪《ゆが》めて御笑いになりながら、
「融の左大臣は、風月の才に富んで居られたと申すではないか。されば父上づれは、話のあとを打たせるにも足らぬと思われて、消え失せられたに相違ない。」と、仰有《おっしゃ》ったのを覚えて居ります。
 それがまた大殿様には、何よりも御耳に痛かったと見えまして、ふとした拍子《ひょうし》に、こう云う若殿様の御言葉が、御聞きに達する事でもございますと、上べは苦笑いに御紛《おまぎら》わしなすっても、御心中の御怒りはありありと御顔に読まれました。現に内裡《だいり》の梅見の宴からの御帰りに、大殿様の御車《みくるま》の牛がそれて、往来の老人に怪我させた時、その老人が反《かえ》って手を合せて、権者《ごんじゃ》のような大殿様の御牛《みうし》にかけられた冥加《みょうが》のほどを、難有《ありがた》がった事がございましたが、その時も若殿様は、大殿様のいらっしゃる前で、牛飼いの童子に御向いなさりながら、「その方はうつけものじゃな。所詮《しょせん》牛をそらすくらいならば、なぜ車の輪にかけて、あの下司《げす》を轢《ひ》き殺さぬ。怪我をしてさえ、手を合せて、随喜するほどの老爺《おやじ》じゃ。轍《わだち》の下に往生を遂げたら
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