すてご》のあった事を知らせに来たそうです。すると仏前に向っていた和尚《おしょう》は、ほとんど門番の方も振り返らずに、「そうか。ではこちらへ抱《だ》いて来るが好い。」と、さも事もなげに答えました。のみならず門番が、怖《こ》わ怖《ご》わその子を抱いて来ると、すぐに自分が受け取りながら、「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日《きょう》からおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。――この時の事は後《のち》になっても、和尚贔屓《おしょうびいき》の門番が、樒《しきみ》や線香を売る片手間《かたでま》に、よく参詣人へ話しました。御承知かも知れませんが、日錚和尚《にっそうおしょう》と云う人は、もと深川《ふかがわ》の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時|正気《しょうき》を失った後《のち》、急に菩提心《ぼだいしん》を起したとか云う、でんぼう[#「でんぼう」に傍点]肌の畸人《きじん》だったのです。
「それから和尚はこの捨児に、勇之助《ゆうのすけ》と云う名をつけて、わが子のように育て始めました。が、何しろ御維新《ごいしん》以来、女気《おんなけ》のない寺ですから、育てると云ったに
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