歯車
芥川竜之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)為《ため》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一杯|註文《ちゅうもん》した。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)「〔Bien……tre`s mauvais……pourquoi ?……〕」
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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一 レエン・コオト
僕は或知り人の結婚披露式につらなる為《ため》に鞄《かばん》を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうかは可也《かなり》怪しいのに違いなかった。自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せていた。彼は棗《なつめ》のようにまるまると肥った、短い顋髯《あごひげ》の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。
「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが」
「昼間でもね」
僕は冬の西日の当った向うの松山を眺めながら、善い加減に調子を合せていた。
「尤《もっと》も天気の善い日には出ないそうです。一番多いのは雨のふる日だって云うんですが」
「雨の降る日に濡れに来るんじゃないか?」
「御常談で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だって云うんです」
自動車はラッパを鳴らしながら、或停車場へ横着けになった。僕は或理髪店の主人に別れ、停車場の中へはいって行った。すると果して上り列車は二三分前に出たばかりだった。待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めていた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思い出した。が、ちょっと苦笑したぎり、とにかく次の列車を待つ為に停車場前のカッフェへはいることにした。
それはカッフェと云う名を与えるのも考えものに近いカッフェだった。僕は隅のテエブルに坐り、ココアを一杯|註文《ちゅうもん》した。テエブルにかけたオイル・クロオスは白地に細い青の線を荒い格子《こうし》に引いたものだった。しかしもう隅々には薄汚いカンヴァスを露《あらわ》していた。僕は膠《にかわ》臭いココアを飲みながら、人げのないカッフェの中を見まわした。埃《ほこり》じみたカッフェの壁には「親子丼《おやこどんぶり》」だの「カツレツ」だのと云う紙札が何枚も貼《は》ってあった。
「地玉子[#「地玉子」に傍点]、オムレツ[#「オムレツ」に傍点]」
僕はこう云う紙札に東海道線に近い田舎を感じた。それは麦畑やキャベツ畑の間に電気機関車の通る田舎だった。……
次の上り列車に乗ったのはもう日暮に近い頃だった。僕はいつも二等に乗っていた。が、何かの都合上、その時は三等に乗ることにした。
汽車の中は可也こみ合っていた。しかも僕の前後にいるのは大磯《おおいそ》かどこかへ遠足に行ったらしい小学校の女生徒ばかりだった。僕は巻煙草に火をつけながら、こう云う女生徒の群れを眺めていた。彼等はいずれも快活だった。のみならず殆どしゃべり続けだった。
「写真屋さん、ラヴ・シインって何?」
やはり遠足について来たらしい、僕の前にいた「写真屋さん」は何とかお茶を濁していた。しかし十四五の女生徒の一人はまだいろいろのことを問いかけていた。僕はふと彼女の鼻に蓄膿症《ちくのうしょう》のあることを感じ、何か頬笑《ほほえ》まずにはいられなかった。それから又僕の隣りにいた十二三の女生徒の一人は若い女教師の膝《ひざ》の上に坐り、片手に彼女の頸《くび》を抱きながら、片手に彼女の頬をさすっていた。しかも誰かと話す合い間に時々こう女教師に話しかけていた。
「可愛いわね、先生は。可愛い目をしていらっしゃるわね」
彼等は僕には女生徒よりも一人前の女と云う感じを与えた。林檎《りんご》を皮ごと噛《か》じっていたり、キャラメルの紙を剥《む》いていることを除けば。……しかし年かさらしい女生徒の一人は僕の側を通る時に誰かの足を踏んだと見え、「御免なさいまし」と声をかけた。彼女だけは彼等よりもませているだけに反《かえ》って僕には女生徒らしかった。僕は巻煙草を啣《くわ》えたまま、この矛盾を感じた僕自身を冷笑しない訣《わけ》には行かなかった。
いつか電燈をともした汽車はやっと或郊外の停車場へ着いた。僕は風の寒いプラットホオムへ下り、一度橋を渡った上、省線電車の来るのを待つことにした。すると偶然顔を合せたのは或会社にいるT君だった、僕等は電車を待っている間に不景気のことなどを話し合った。T君は勿論《もちろん》僕などよりもこう云う問題に通じていた。が、逞《たくま》しい彼の指には余り不景気には縁のない土耳古《トルコ》石の指環《ゆびわ》も嵌《は》まっていた。
「大したものを嵌めているね」
「これか? これはハルビンへ商売に行っていた友だちの指環を買わされたのだよ。そいつも今は往生している。コオペラティヴと取引きが出来なくなったものだから」
僕等の乗った省線電車は幸いにも汽車ほどこんでいなかった。僕等は並んで腰をおろし、いろいろのことを話していた。T君はついこの春に巴里《パリ》にある勤め先から東京へ帰ったばかりだった。従って僕等の間には巴里の話も出勝ちだった。カイヨオ夫人の話、蟹《かに》料理の話、御外遊中の或殿下の話、……
「仏蘭西《フランス》は存外困ってはいないよ、唯元来仏蘭西人と云うやつは税を出したがらない国民だから、内閣はいつも倒れるがね。……」
「だってフランは暴落するしさ」
「それは新聞を読んでいればね。しかし向うにいて見給え。新聞紙上の日本なるものはのべつ大地震や大洪水があるから」
するとレエン・コオトを着た男が一人僕等の向うへ来て腰をおろした。僕はちょっと無気味になり、何か前に聞いた幽霊の話をT君に話したい心もちを感じた。が、T君はその前に杖の柄をくるりと左へ向け、顔は前を向いたまま、小声に僕に話しかけた。
「あすこに女が一人いるだろう? 鼠色の毛糸のショオルをした、……」
「あの西洋髪に結った女か?」
「うん、風呂敷包みを抱えている女さ。あいつはこの夏は軽井沢にいたよ。ちょっと洒落《しゃ》れた洋装などをしてね」
しかし彼女は誰の目にも見すぼらしいなりをしているのに違いなかった。僕はT君と話しながら、そっと彼女を眺めていた。彼女はどこか眉の間に気違いらしい感じのする顔をしていた。しかもその又風呂敷包みの中から豹《ひょう》に似た海綿をはみ出させていた。
「軽井沢にいた時には若い亜米利加《アメリカ》人と踊ったりしていたっけ。モダアン……何と云うやつかね」
レエン・コオトを着た男は僕のT君と別れる時にはいつかそこにいなくなっていた。僕は省線電車の或停車場からやはり鞄をぶら下げたまま、或ホテルへ歩いて行った。往来の両側に立っているのは大抵大きいビルディングだった。僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合せていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞《ふさ》いでしまう、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだった。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしこう云う歯車は僕の煙草に親《したし》まない二十《はたち》前にも見えないことはなかった。僕は又はじまったなと思い、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかった。しかし右の目の瞼《まぶた》の裏には歯車が幾つもまわっていた。僕は右側のビルディングの次第に消えてしまうのを見ながら、せっせと往来を歩いて行った。
ホテルの玄関をはいった時には歯車ももう消え失せていた。が、頭痛はまだ残っていた。僕は外套《がいとう》や帽子を預ける次手《ついで》に部屋を一つとって貰うことにした。それから或雑誌社へ電話をかけて金のことを相談した。
結婚披露式の晩餐《ばんさん》はとうに始まっていたらしかった。僕はテエブルの隅に坐り、ナイフやフォオクを動かし出した。正面の新郎や新婦をはじめ、白い凹《おう》字形のテエブルに就いた五十人あまりの人びとは勿論いずれも陽気だった。が、僕の心もちは明るい電燈の光の下にだんだん憂鬱になるばかりだった。僕はこの心もちを遁《のが》れる為に隣にいた客に話しかけた。彼は丁度|獅子《しし》のように白い頬髯《ほおひげ》を伸ばした老人だった。のみならず僕も名を知っていた或名高い漢学者だった。従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。
「麒麟《きりん》はつまり一角獣ですね。それから鳳凰《ほうおう》もフェニックスと云う鳥の、……」
この名高い漢学者はこう云う僕の話にも興味を感じているらしかった。僕は機械的にしゃべっているうちにだんだん病的な破壊慾を感じ、堯舜《ぎょうしゅん》を架空の人物にしたのは勿論、「春秋《しゅんじゅう》」の著者もずっと後の漢代の人だったことを話し出した。するとこの漢学者は露骨に不快な表情を示し、少しも僕の顔を見ずに殆ど虎の唸《うな》るように僕の話を截《き》り離した。
「もし堯舜もいなかったとすれば、孔子は※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》をつかれたことになる。聖人の※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をつかれる筈はない」
僕は勿論黙ってしまった。それから又皿の上の肉へナイフやフォオクを加えようとした。すると小さい蛆《うじ》が一匹静かに肉の縁に蠢《うご》めいていた。蛆は僕の頭の中に Worm と云う英語を呼び起した。それは又麒麟や鳳凰のように或伝説的動物を意味している言葉にも違いなかった。僕はナイフやフォオクを置き、いつか僕の杯にシャンパアニュのつがれるのを眺めていた。
やっと晩餐のすんだ後、僕は前にとって置いた僕の部屋へこもる為に人気《ひとげ》のない廊下を歩いて行った。廊下は僕にはホテルよりも監獄らしい感じを与えるものだった。しかし幸いにも頭痛だけはいつの間にか薄らいでいた。
僕の部屋には鞄は勿論、帽子や外套も持って来てあった。僕は壁にかけた外套に僕自身の立ち姿を感じ、急いでそれを部屋の隅の衣裳戸棚《いしょうとだな》の中へ抛《ほう》りこんだ。それから鏡台の前へ行き、じっと鏡に僕の顔を映した。鏡に映った僕の顔は皮膚の下の骨組みを露わしていた。蛆はこう云う僕の記憶に忽ちはっきり浮び出した。
僕は戸をあけて廊下へ出、どこと云うことなしに歩いて行った。するとロッビイへ出る隅に緑いろの笠をかけた、脊《せい》の高いスタンドの電燈が一つ硝子《ガラス》戸に鮮《あざや》かに映っていた。それは何か僕の心に平和な感じを与えるものだった。僕はその前の椅子に坐り、いろいろのことを考えていた。が、そこにも五分とは坐っている訣に行かなかった。レエン・コオトは今度もまた僕の横にあった長椅子の背に如何《いか》にもだらりと脱ぎかけてあった。
「しかも今は寒中だと云うのに」
僕はこんなことを考えながら、もう一度廊下を引き返して行った。廊下の隅の給仕だまりには一人も給仕は見えなかった。しかし彼等の話し声はちょっと僕の耳をかすめて行った。それは何とか言われたのに答えた All right と云う英語だった。「オオル・ライト」?――僕はいつかこの対話の意味を正確に掴《つか》もうとあせっていた。「オオル・ライト」? 「オオル・ライト」? 何が一体オオル・ライトなのであろう?
僕の部屋は勿論ひっそりしていた。が、戸をあけてはいること
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