て往来へ出、或老人を尋ねることにした。彼は或聖書会社の屋根裏にたつた一人小使ひをしながら、祈祷や読書に精進《しやうじん》してゐた。僕等は火鉢に手をかざしながら、壁にかけた十字架の下にいろいろのことを話し合つた。なぜ僕の母は発狂したか? なぜ僕の父の事業は失敗したか? なぜ又僕は罰せられたか?――それ等の秘密を知つてゐる彼は妙に厳《おごそ》かな微笑を浮かべ、いつまでも僕の相手をした。のみならず時々短い言葉に人生のカリカテユアを描いたりした。僕はこの屋根裏の隠者を尊敬しない訣《わけ》には行かなかつた。しかし彼と話してゐるうちに彼も亦親和力の為に動かされてゐることを発見した。――
「その植木屋の娘と云ふのは器量も善いし、気立ても善いし、――それはわたしに優しくしてくれるのです。」
「いくつ?」
「ことしで十八です。」
 それは彼には父らしい愛であるかも知れなかつた。しかし僕は彼の目の中に情熱を感じずにはゐられなかつた。のみならず彼の勧めた林檎《りんご》はいつか黄ばんだ皮の上へ一角獣の姿を現してゐた。(僕は木目《もくめ》や珈琲《コオヒイ》茶碗の亀裂《ひび》に度たび神話的動物を発見してゐた。)一
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