角獣は麒麟《きりん》に違ひなかつた。僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思ひ出し、この十字架のかかつた屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。
「如何《いかが》ですか、この頃は?」
「不相変《あひかはらず》神経ばかり苛々《いらいら》してね。」
「それは薬では駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」
「若《も》し僕でもなれるものなら……」
「何もむづかしいことはないのです。唯神を信じ、神の子の基督《キリスト》を信じ、基督の行つた奇蹟を信じさへすれば……」
「悪魔を信じることは出来ますがね。……」
「ではなぜ神を信じないのです? 若し影を信じるならば、光も信じずにはゐられないでせう?」
「しかし光のない暗《やみ》もあるでせう。」
「光のない暗とは?」
 僕は黙るより外はなかつた。彼も亦僕のやうに暗の中を歩いてゐた。が、暗のある以上は光もあると信じてゐた。僕等の論理の異るのは唯かう云ふ一点だけだつた。しかしそれは少くとも僕には越えられない溝に違ひなかつた。……
「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇蹟があるのですから。……奇蹟などと云ふものは今でも度たび起つて
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