そのうちにふと出合つたのは高等学校以来の旧友だつた。この応用化学の大学教授は大きい中折れ鞄を抱へ、片目だけまつ赤に血を流してゐた。
「どうした、君の目は?」
「これか? これは唯の結膜炎さ。」
僕はふと十四五年以来、いつも親和力を感じる度に僕の目も彼の目のやうに結膜炎を起すのを思ひ出した。が何とも言はなかつた。彼は僕の肩を叩き、僕等の友だちのことを話し出した。それから話をつづけたまま、或カツフエへ僕をつれて行つた。
「久しぶりだなあ。朱舜水《しゆしゆんすゐ》の建碑式以来だらう。」
彼は葉巻に火をつけた後、大理石のテエブル越しにかう僕に話しかけた。
「さうだあのシユシユン……」
僕はなぜか朱舜水と云ふ言葉を正確に発音出来なかつた。それは日本語だつただけにちよつと僕を不安にした。しかし彼は無頓着にいろいろのことを話して行つた。Kと云ふ小説家のことを、彼の買つたブル・ドツグのことを、リウイサイトと云ふ毒瓦斯《どくガス》のことを。……
「君はちつとも書かないやうだね。『点鬼簿《てんきぼ》』と云ふのは読んだけれども。……あれは君の自叙伝かい?」
「うん、僕の自叙伝だ。」
「あれはちよつ
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