見ても緑いろのドレツスに違ひなかつた。僕は何か救はれたのを感じ、ぢつと夜のあけるのを待つことにした。長年の病苦に悩み抜いた揚句《あげく》、静かに死を待つてゐる老人のやうに。……
四 まだ?
僕はこのホテルの部屋にやつと前の短篇を書き上げ、或雑誌に送ることにした。尤も僕の原稿料は一週間の滞在費にも足りないものだつた。が、僕は僕の仕事を片づけたことに満足し、何か精神的強壮剤を求める為に銀座の或本屋へ出かけることにした。
冬の日の当つたアスフアルトの上には紙屑が幾つもころがつてゐた。それ等の紙屑は光の加減か、いづれも薔薇の花にそつくりだつた。僕は何ものかの好意を感じ、その本屋の店へはひつて行つた。そこも亦ふだんよりも小綺麗だつた。唯|目金《めがね》をかけた小娘が一人何か店員と話してゐたのは僕には気がかりにならないこともなかつた。けれども僕は往来に落ちた紙屑の薔薇の花を思ひ出し、「アナトオル・フランスの対話集」や「メリメエの書簡集」を買ふことにした。
僕は二冊の本を抱へ、或カツフエへはひつて行つた。それから一番奥のテエブルの前に珈琲《コオヒイ》の来るのを待つことにした。僕の
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