手のかかり候は亥《ゐ》の刻頃と存じ候。お屋敷の表は河北石見預り、裏の御門は稲富伊賀預り、奥は小笠原少斎預りと定まり居り候。敵寄すると承り候へば、秀林院様は梅を遣はされ、与一郎様の奥様をお召し遊ばされ候へども、はやいづこへお落ちなされ候や、お部屋は藻《も》ぬけのからと相成り居り候よし、わたくしどもみなみなおん悦び申し上げ候。なれども秀林院様にはおん憤り少からず、わたくしどもに御意なされ候は、生まれては山崎の合戦に太閤《たいかふ》殿下と天下を争はれし惟任《これたふ》将軍光秀を父とたのみ、死しては「はらいそ」におはします「まりや」様を母とたのまんわれらに、末期《まつご》の恥辱を与へ候こと、かへすがへすも奇怪なる平大名の娘と仰せられ候。その節のおんありさまのはしたなさ、今も目に見ゆる心地致し候。
 二十一、程なく小笠原少斎、紺糸の具足《ぐそく》に小薙刀《こなぎなた》を提《ひつさ》げ、お次迄|御介錯《ごかいしやく》に参られ候。未だ抜け歯の痛み甚しく候よし、左の頬先|腫《は》れ上られ、武者ぶりも聊《いささか》はかなげに見うけ候。少斎申され候は、お居間の敷居を越え候はんも恐れ多く候間、敷居越しに御介
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