入らせらるべきか。浮田中納言様の奥様は与一郎様と御姉妹の間がらゆゑ、その分のことは三斎様にもよもやおん咎《とが》めなされまじく、左様遊ばされ候へとのことに御座候。澄見はわたくし大嫌ひの狸婆《たぬきばばあ》には候へども、澄見の申し候ことは一理ありと存じ候。お隣屋敷浮田中納言様へお移り遊ばされ候はば、第一に世間の名聞《みやうもん》もよろしく、第二にわたくしどもの命も無事にて、この上の妙案は有之《これある》まじく候。
十一、然るに秀林院様御意なされ候は、如何にも浮田中納言殿は御一門のうちには候へども、これも治部少と一味のよし、兼ねがね承り及び候間、それ迄参り候ても人質は人質に候まま、同心致し難くと仰せられ候。澄見はなほも押し返し、いろいろ口説《くど》き立て候へども、一向に御承引遊ばされず、遂に澄見の妙案も水の泡と消え果て申し候。その節も亦秀林院様は孔子とやら、「えそぽ」とやら、橘姫とやら、「きりすと」とやら、和漢はもとより南蛮国の物語さへも仰せ聞かされ、さすがの澄見も御能弁にはしみじみ恐れ入りしやうに見うけ候。
十二、この日の大凶時《おほまがとき》、霜は御庭前の松の梢へ金色《こんじき》の十字架の天下るさまを夢のやうに眺め候よし、如何なる凶事の前兆にやと悲しげにわたくしへ話し申し候。尤も霜は近眼の上、日頃みなみなになぶらるる臆病者に御座候間、明星を十字架とも見違へ候や、覚束《おぼつか》なき限りと存じ候。
十三、十五日にも亦澄見参り、きのふと同じことを申し上げ候。秀林院様御意なされ候は、たとひ何度申され候とも、覚悟は変るまじ、と仰せられ候。然れば澄見も立腹致し候や、御前を退き候みぎり、「御心痛のほどもさぞかしでおぢやらう。どうやらお顔も四十あまりに見ゆる」と申し候。秀林院様にも一かたならず御立腹遊ばされ、以後は澄見に目通り無用と達し候へと仰せられ候。なほ又この日も一刻置きに「おらつしよ」をお唱へ遊ばされ候へども、内証にてのお掛合ひも愈《いよいよ》手切《てぎれ》と相成り候間、みなみな安き心もなく、梅さへ笑はずに控へ居り候。
十四、この日は又河北石見、稲富伊賀(祐直《すけなほ》)と口論致され候よし、伊賀は砲術の上手につき、他家にも弟子の衆少からず、何かと評判よろしく候まま、少斎石見などは嫉《ねた》きことに思はれ、兎角口論も致され勝ちとのことに御座候。
十五、この日の夜半
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング