あ、大慈大悲の観世音菩薩、どうか其処を御示し下さい、侍従は河原の女乞食と、実は少しも変らない証拠を。……」
 平中はかう考へながら、ふと懶《ものう》い視線を挙げた。
「おや、あすこへ来かかつたのは、侍従の局の女《め》の童《わらは》ではないか?」
 あの利口さうな女の童は、撫子《なでしこ》重《がさ》ねの薄物の袙《あこめ》に、色の濃い袴を引きながら、丁度こちらへ歩いて来る。それが赤紙の画扇の陰に、何か筐《はこ》を隠してゐるのは、きつと侍従のした糞《まり》を捨てに行く所に相違ない。その姿を一目見ると、突然平中の心の中《うち》には、或大胆な決心が、稲妻のやうに閃《ひらめ》き渡つた。
 平中は眼の色を変へたなり、女の童の行く手に立ち塞がつた。そしてその筐をひつたくるや否や、廊下の向ふに一つ見える、人のゐない部屋へ飛んで行つた。不意を打たれた女の童は、勿論泣き声を出しながら、ばたばた彼を追ひかけて来る。が、その部屋へ躍りこむと、平中は、遣戸《やりど》を立て切るが早いか、手早く懸け金を下してしまつた。
「さうだ。この中を見れば間違ひない。百年の恋も一瞬の間に、煙よりもはかなく消えてしまふ。……」
 
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