?」
義輔 「しかし平中が口説《くど》いたのだからな。」
範実 「男は戦場に太刀打ちをするが、女は寝首《ねくび》しか掻《か》かないのだ。人殺しの罪は変るものか。」
義輔 「妙に平中の肩を持つな。だがこれだけは確かだらう? 我々は世間を苦しませないが、平中は世間を苦しませてゐる。」
範実 「それもどうだかわからないね。一体我々人間は、如何《いか》なる因果か知らないが、互に傷《きずつ》け合はないでは、一刻も生きてはゐられないものだよ。唯平中は我々よりも、余計に世間を苦しませてゐる。この点は、ああ云ふ天才には、やむを得ない運命だね。」
義輔 「冗談ぢやないぜ。平中が天才と一しよになるなら、この池の鰌《どぢやう》も竜になるだらう。」
範実 「平中は確かに天才だよ。あの男の顔に気をつけ給へ。あの男の声を聞き給へ。あの男の文《ふみ》を読んで見給へ。もし君が女だつたら、あの男と一晩逢つて見給へ。あの男は空海上人だとか小野道風だとかと同じやうに、母の胎内を離れた時から、非凡な能力を授かつて来たのだ。あれが天才でないと云へば、天下に天才は一人もゐない。その点では我々二人の如きも、到底平中の敵ぢやないよ。
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