懸金を下す音がした。
「雨竜、香炉、雨夜のしなさだめ、ぬば玉の闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり、夢にだに、――どうしたのだらう? 懸け金はもう下りたと思つたが、――」
 平中は頭を擡《もた》げて見た。が、あたりにはさつきの通り、空焚きの匂が漂つた、床《ゆか》しい闇があるばかりである。侍従は何処へ行つたものか、衣ずれの音も聞えて来ない。
「まさか、――いや、事によると、――」
 平中は褥《しとね》を這ひ出すと、又元のやうに手探りをしながら、向うの障子へ辿《たど》りついた。すると障子には部屋の外から、厳重に懸け金が下してある。その上耳を澄ませて見ても、足音一つさせるものはない。局々が大雨の中に、いづれもひつそりと寝静まつてゐる。
「平中、平中、お前はもう天が下の色好みでも何でもない。――」
 平中は障子に寄りかかつた儘、失心したやうに呟いた。
「お前の容色も劣へた。お前の才も元のやうぢやない。お前は範実《のりざね》や義輔《よしすけ》よりも、見下げ果てた意気地なしだ。……」

     四 好色問答

 これは平中の二人の友達――義輔と範実との間に交換された、或無駄話の一節で
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