かれこれ》十分の後《のち》、銀座四丁目《ぎんざよんちやうめ》から電車に乗ると、直《すぐ》に又彼等も同じ電車へ姿を現したのは奇遇《きぐう》である。電車はこみ合つてはゐなかつたものの、空席《くうせき》はやつと一つしかない。しかもその空席のあるのは丁度《ちやうど》僕の右鄰《みぎどおり》である。鷺《さぎ》は姉《ねえ》さん相当にそつと右鄰へ腰を下した。鴛鴦《をしどり》は勿論|姉《あね》の前の吊《つ》り革に片手を托してゐる。僕は持つてゐた本をひろげ、夏読まずとも暑苦しいマハトマ・ガンデイ伝を征服し出した。いや、征服し出したのではない。征服し出さうと思つただけである。僕は電車の動きはじめる拍子《ひやうし》に、鴛鴦の一足《ひとあし》よろめいたのを見ると、忽ち如何《いか》なる紳士《しんし》よりも慇懃《いんぎん》に鴛鴦へ席を譲《ゆづ》つた。同時に彼等の感謝するのを待たず、さつさと其処《そこ》から遠ざかつてしまつた。利己主義者《りこしゆぎしや》を以て任ずる僕の自己犠牲を行《おこな》つたのは偶然ではない。鴛鴦は顔を下から見ると、長ながと鼻毛《はなげ》を伸してゐる。鷺も亦《また》無精《ぶしやう》をきめてゐるのか
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