紅葉《こうえふ》の句|未《いまだ》古人霊妙の機を会せざるは、独りその談林調《だんりんてう》たるが故のみにもあらざるべし。この人の文を見るも楚々《そそ》たる落墨|直《ただち》に松を成すの妙はあらず。長ずる所は精整緻密《せいせいちみつ》、石を描《ゑが》いて一細草《いちさいさう》の点綴《てんてい》を忘れざる功《かう》にあり。句に短なりしは当然ならずや。牛門《ぎうもん》の秀才|鏡花《きやうくわ》氏の句品《くひん》遙に師翁《しをう》の上に出づるも、亦《また》この理に外ならざるのみ。遮莫《さもあらばあれ》斎藤緑雨《さいとうりよくう》が彼《かの》縦横の才を蔵しながら、句は遂に沿門※[#「てへん+蜀」、71−下−22]黒《えんもんさくこく》の輩《はい》と軒輊《けんち》なかりしこそ不思議なれ。(二月四日)

     松並木

 東海道《とうかいだう》の松並木《まつなみき》伐《き》らるべき由、何時《いつ》やらの新聞紙にて読みたる事あり。元《もと》より道路改修の為とあれば止むを得ざるには似たれども、これが為に百尺《ひやくせき》の枯龍《こりゆう》斧鉞《ふゑつ》の災《さい》を蒙《かうむ》るもの百千なるべきに想
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