へば生命水の河の詩に「路旁生命水清流《ろばうのせいめいみづきよくながる》、天路行人喜暫留《てんろのかうじんよろこびしばらくとどまる》、百菓奇花供悦楽《ひやつくわきくわえつらくにきようす》、吾儕幸得此埔遊《わがさいさいはひにえたりこのほのいう》」と云ふが如し。この種の興味を云々するは恐らく傍人の嗤笑を買ふ所にならん。然れども思へ、獄中のオスカア・ワイルドが行往坐臥に侶としたるも、こちたき希臘語《ギリシヤご》の聖書なりしを。(一月二十一日)

     三馬

 二三子集り議して曰、今人の眼を以て古人の心を描く事、自然主義以後の文壇に最も目ざましき傾向なるべしと。一老人あり。傍より言を挾《はさ》みて曰、式亭三馬《しきていさんば》が大千世界楽屋探しは如何《いかん》と。二三子の言の出づる所を知らず、相顧みて唖然《あぜん》たるのみ。(一月二十七日)

     尾崎紅葉

 紅葉の歿後殆二十年。その「多情多恨」の如き、「伽羅枕《からまくら》」の如き、「二人女房」の如き、今日|猶《なほ》之を翻読するも宛然《えんぜん》たる一朶《いちだ》の鼈甲牡丹《べつかうぼたん》、光彩更に磨滅すべからざるが如し。人
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