にち》借り来つて示すべしと。翌日|即《すなはち》之を見れば、風枝抹疎《ふうしまつそ》として塞煙《さいえん》を払ひ、露葉蕭索《ろえふせうさく》として清霜を帯ぶ、恰《あたか》も渭川《ゐせん》淇水《きすゐ》の間《かん》に坐するが如し。※[#「行がまえ<干」、69−下−4]《かん》感歎|措《お》く能《あた》はず。大いに聞見の寡陋《くわろう》を恥ぢたりと云ふ。※[#「行がまえ<干」、69−下−5]の如きは未《いまだ》恕《じよ》すべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋々《てふてふ》するが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。(一月二十三日)
俗漢
バルザツクのペエル・ラシエエズの墓地に葬らるるや、棺側に侍するものに内相バロツシユあり。送葬の途上同じく棺側にありしユウゴオを顧みて尋ぬるやう、「バルザツク氏は材能の士なりしにや」と。ユウゴオ※[#「口+弗」、第3水準1−14−92]吁《ふつく》として答ふらく「天才なり」と。バロツシユその答にや憤《いきどほ》りけん傍人《ばうじん》に囁《ささや》いて云ひけるは、「このユウゴオ氏も聞きしに勝《まさ
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