u《へだた》りたるべし。彼《かの》ゲエテの希臘《ギリシヤ》と雖も、トロイの戦《たたかひ》の勇士の口には一抹《いつまつ》ミユンヘンの麦酒《ビイル》の泡の未《いまだ》消えざるを如何《いか》にすべき。歎ずらくは想像にも亦《また》国籍の存する事を。(二月六日)

     大雅

 東海の画人多しとは云へ、九霞山樵《きうかさんせう》の如き大器又あるべしとも思はれず。されどその大雅《たいが》すら、年三十に及びし時、意の如く技《ぎ》の進まざるを憂ひて、教を祇南海《ぎなんかい》に請ひし事あり。血性《けつせい》大雅に過ぐるもの、何ぞ進歩の遅々たるに焦燥《せうそう》の念無きを得可けんや。唯、返へす返すも学ぶべきは、聖胎長養《せいたいちやうやう》の機を誤らざりし九霞山樵の工夫《くふう》なるべし。(二月七日)

     妖婆

 英語に witch と唱ふるもの、大むねは妖婆《えうば》と翻訳すれど、年少美貌のウイツチ亦《また》決して少しとは云ふべからず。メレジユウコウスキイが「先覚者」ダンヌンツイオが「ジヨリオの娘」或は遙に品《しな》下《さが》れどクロオフオオドが Witch of Prague など、顔
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