紅葉《こうえふ》の句|未《いまだ》古人霊妙の機を会せざるは、独りその談林調《だんりんてう》たるが故のみにもあらざるべし。この人の文を見るも楚々《そそ》たる落墨|直《ただち》に松を成すの妙はあらず。長ずる所は精整緻密《せいせいちみつ》、石を描《ゑが》いて一細草《いちさいさう》の点綴《てんてい》を忘れざる功《かう》にあり。句に短なりしは当然ならずや。牛門《ぎうもん》の秀才|鏡花《きやうくわ》氏の句品《くひん》遙に師翁《しをう》の上に出づるも、亦《また》この理に外ならざるのみ。遮莫《さもあらばあれ》斎藤緑雨《さいとうりよくう》が彼《かの》縦横の才を蔵しながら、句は遂に沿門※[#「てへん+蜀」、71−下−22]黒《えんもんさくこく》の輩《はい》と軒輊《けんち》なかりしこそ不思議なれ。(二月四日)

     松並木

 東海道《とうかいだう》の松並木《まつなみき》伐《き》らるべき由、何時《いつ》やらの新聞紙にて読みたる事あり。元《もと》より道路改修の為とあれば止むを得ざるには似たれども、これが為に百尺《ひやくせき》の枯龍《こりゆう》斧鉞《ふゑつ》の災《さい》を蒙《かうむ》るもの百千なるべきに想到すれば、惜みても猶《なほ》惜むべき限りならずや。ポオル・クロオデル日本に来りし時、この東海道の松並木を見て作る所の文一篇あり。痩蓋《そうがい》煙を含み危根《きこん》石を倒すの状、描《ゑが》き得て霊彩《れいさい》奕々《えきえき》たりと云ふべし。今やこの松並木亡びんとす。クロオデルもしこれを聞かば、或は恐る、黄面《くわうめん》の豎子《じゆし》未《いまだ》王化に浴せずと長太息《ちやうたいそく》に堪へざらん事を。(二月五日)

     日本

 ゴオテイエが娘の支那《シナ》は既に云ひぬ。〔Jose' Maria de Heredia〕 が日本も亦《また》別乾坤《べつけんこん》なり。簾裡《れんり》の美人|琵琶《びは》を弾《たん》じて鉄衣の勇士の来《きた》るを待つ。景情|元《もと》より日本ならざるに非ず。(le samourai)されどその絹の白と漆と金《きん》とに彩《いろど》られたる世界は、却《かへ》つて是|縹渺《へうべう》たるパルナシアンの夢幻境のみ。しかもエレデイアの夢幻境たる、もしその所在を地図の上に按じ得べきものとせんか、恐らく仏蘭西《フランス》には近けれども、日本には遙《はるか》に
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