叙述よりも情調。かくせば比類なき好文字《かうもんじ》を得べし。唯、わがこの老《らう》を如何《いかん》」と。日本の版画を愛し、日本の古玩《こぐわん》を愛し、更に又日本の菊花を愛せる伶※[#「にんべん+娉のつくり」、71−上−5]《れいへい》孤寂《こじやく》のゴンクウルを想《おも》へば、青楼の一語短なりと雖《いへど》も、無限の情味なき能《あた》はざるべし。(一月二十九日)
言語
言語は元《もと》より多端なり。山《さん》と云ひ、嶽《がく》と云ひ、峯《ほう》と云ひ、巒《らん》と云ふ。義の同うして字の異なるを用ふれば、即ち意を隠微の間《かん》に偶《ぐう》するを得べし。大食《おほぐら》ひを大松《だいまつ》と云ひ差出者《さしでもの》を左兵衛次《さへゑじ》と云ふ。聞くものにして江戸つこならざらんか、面罵せらるるも猶《なほ》恬然《てんぜん》たらん。試《こころみ》に思へ、品蕭《ひんせう》の如き、後庭花《こうていくわ》の如き、倒澆燭《たうげうしよく》の如き、金瓶梅《きんぺいばい》肉蒲団《にくぶとん》中の語彙《ごゐ》を借りて一篇の小説を作らん時、善くその淫褻《いんせつ》俗を壊《やぶ》るを看破すべき検閲官の数《すう》何人なるかを。(一月三十一日)
誤訳
カアライルが独逸《ドイツ》文の翻訳に誤訳指摘を試みしはデ・クインシイがさかしらなり。されどチエルシイの哲人はこの後進の鬼才を遇する事|
反《かへ》つて甚《はなはだ》篤《あつ》かりしかば、デ・クインシイも亦《また》その襟懐に服して百年の心交を結びたりと云ふ。カアライルが誤訳の如何《いか》なりしかは知らず。予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。(二月一日)
戯訓
往年|久米正雄《くめまさを》氏シヨウを訓して笑迂《せうう》と云ひ、イブセンを訓して燻仙《いぶせん》と云ひ、メエテルリンクを訓して瞑照燐火《めいてるりんくわ》と云ひ、チエホフを訓して知慧豊富《ちゑほうふ》と云ふ。戯訓《ぎくん》と称して可ならん乎《か》。二人比丘尼《ににんびくに》の作者|鈴木正三《すずきしやうざう》、その耶蘇教《やそけう》弁斥《べんせき》の書に題して破鬼理死端《はきりしたん》と云ふ。亦《また》悪意ある戯訓の一例たるべし。(二月二日)
俳句
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