《いえ》重代《えじゅうだい》の麻利耶観音を私にくれて行ったのです。
私の所謂妙な伝説と云うのも、その時稲見の口から聞いたのですが、彼自身は勿論そう云う不思議を信じている訳でも何でもありません。ただ、母親から聞かされた通り、この聖母の謂《い》われ因縁をざっと説明しただけだったのです。
何でも稲見の母親が十《とお》か十一の秋だったそうです。年代にすると、黒船が浦賀《うらが》の港を擾《さわ》がせた嘉永《かえい》の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作《もさく》と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹《はしか》に罹《かか》りました。稲見の母親はお栄《えい》と云って、二三年|前《ぜん》の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越した祖母の手に育てられて来たのだそうです。ですから茂作が重病になると、稲見には曽祖母《そうそぼ》に当る、その切髪《きりがみ》の隠居の心配と云うものは、一通《ひととお》りや二通《ふたとお》りではありません。が、いくら医者が手を尽しても、茂作の病気は重くなるばかりで、ほとんど一週間と経たない内に、もう今日《きょう》か明日《あす》かと云う容体《ようだ
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