信用も置いていない、教養に富んだ新思想家である、その田代君がこんな事を云い出す以上、まさかその妙な伝説と云うのも、荒唐無稽《こうとうむけい》な怪談ではあるまい。――
「ほんとうですか。」
私が再《ふたたび》こう念を押すと、田代君は燐寸《マッチ》の火をおもむろにパイプへ移しながら、
「さあ、それはあなた自身の御判断に任せるよりほかはありますまい。が、ともかくもこの麻利耶《マリヤ》観音には、気味の悪い因縁《いんねん》があるのだそうです。御退屈でなければ、御話しますが。――」
この麻利耶観音は、私の手にはいる以前、新潟県のある町の稲見《いなみ》と云う素封家《そほうか》にあったのです。勿論|骨董《こっとう》としてあったのではなく、一家の繁栄を祈るべき宗門神《しゅうもんじん》としてあったのですが。
その稲見の当主と云うのは、ちょうど私と同期の法学士で、これが会社にも関係すれば、銀行にも手を出していると云う、まあ仲々の事業家なのです。そんな関係上、私も一二度稲見のために、ある便宜を計ってやった事がありました。その礼心《れいごころ》だったのでしょう。稲見はある年上京した序《ついで》に、この家
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