《ぶきみ》な所があるようじゃありませんか。」
「円満具足《えんまんぐそく》の相好《そうごう》とは行きませんかな。そう云えばこの麻利耶観音には、妙な伝説が附随しているのです。」
「妙な伝説?」
 私は眼を麻利耶観音から、思わず田代君の顔に移した。田代君は存外|真面目《まじめ》な表情を浮べながら、ちょいとその麻利耶観音を卓子《テーブル》の上から取り上げたが、すぐにまた元の位置に戻して、
「ええ、これは禍《わざわい》を転じて福《さいわい》とする代りに、福を転じて禍とする、縁起《えんぎ》の悪い聖母だと云う事ですよ。」
「まさか。」
「ところが実際そう云う事実が、持ち主にあったと云うのです。」
 田代君は椅子《いす》に腰を下すと、ほとんど物思わしげなとも形容すべき、陰鬱な眼つきになりながら、私にも卓子《テーブル》の向うの椅子へかけろと云う手真似をして見せた。
「ほんとうですか。」
 私は椅子へかけると同時に、我知らず怪しい声を出した。田代君は私より一二年|前《ぜん》に大学を卒業した、秀才の聞えの高い法学士である。且《かつ》また私の知っている限り、所謂《いわゆる》超自然的現象には寸毫《すんごう》の
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング