のは、その麻利耶観音の中でも、博物館の陳列室や世間普通の蒐収家《しゅうしゅうか》のキャビネットにあるようなものではない。第一これは顔を除いて、他はことごとく黒檀《こくたん》を刻んだ、一尺ばかりの立像である。のみならず頸《くび》のまわりへ懸けた十字架形《じゅうじかがた》の瓔珞《ようらく》も、金と青貝とを象嵌《ぞうがん》した、極めて精巧な細工《さいく》らしい。その上顔は美しい牙彫《げぼり》で、しかも唇には珊瑚《さんご》のような一点の朱まで加えてある。……
私は黙って腕を組んだまま、しばらくはこの黒衣聖母《こくいせいぼ》の美しい顔を眺めていた。が、眺めている内に、何か怪しい表情が、象牙《ぞうげ》の顔のどこだかに、漂《ただよ》っているような心もちがした。いや、怪しいと云ったのでは物足りない。私にはその顔全体が、ある悪意を帯びた嘲笑を漲《みなぎ》らしているような気さえしたのである。
「どうです、これは。」
田代君はあらゆる蒐集家に共通な矜誇《ほこり》の微笑を浮べながら、卓子《テーブル》の上の麻利耶観音と私の顔とを見比べて、もう一度こう繰返した。
「これは珍品ですね。が、何だかこの顔は、無気味
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