、私は生き甲斐《がい》がなかったばかりではない。死に甲斐さえもなかったのだ。
 しかしその死甲斐のない死に方でさえ、生きているよりは、どのくらい望ましいかわからない。私は悲しいのを無理にほほ笑みながら、繰返してあの人と夫を殺す約束をした。感じの早いあの人は、そう云う私の語《ことば》から、もし万一約束を守らなかった暁には、どんなことを私がしでかすか、大方《おおかた》推察のついた事であろう。して見れば、誓言《せいごん》までしたあの人が、忍んで来ないと云う筈はない。――あれは風の音であろうか――あの日以来の苦しい思が、今夜でやっと尽きるかと思えば、流石《さすが》に気の緩むような心もちもする。明日の日は、必ず、首のない私の死骸の上に、うすら寒い光を落すだろう。それを見たら、夫は――いや、夫の事は思うまい、夫は私を愛している。けれど、私にはその愛を、どうしようと云う力もない。昔から私にはたった一人の男しか愛せなかった。そうしてその一人の男が、今夜私を殺しに来るのだ。この燈台の光でさえそう云う私には晴れがましい。しかもその恋人に、虐《さいな》まれ果てている私には。」
 袈裟《けさ》は、燈台の火を吹
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