今様《いまよう》を謡《うた》う声がする。
  げに人間の心こそ、無明《むみょう》の闇も異《ことな》らね、
  ただ煩悩《ぼんのう》の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる。

        下

 夜、袈裟《けさ》が帳台《ちょうだい》の外で、燈台の光に背《そむ》きながら、袖を噛んで物思いに耽っている。

     その独白

「あの人は来るのかしら、来ないのかしら。よもや来ない事はあるまいと思うけれど、もうかれこれ月が傾くのに、足音もしない所を見ると、急に気でも変ったではあるまいか。もしひょっとして来なかったら――ああ、私はまるで傀儡《くぐつ》の女のようにこの恥しい顔をあげて、また日の目を見なければならない。そんなあつかましい、邪《よこしま》な事がどうして私に出来るだろう。その時の私こそ、あの路ばたに捨ててある死体と少しも変りはない。辱《はずかし》められ、踏みにじられ、揚句《あげく》の果にその身の恥をのめのめと明るみに曝《さら》されて、それでもやはり唖《おし》のように黙っていなければならないのだから。私は万一そうなったら、たとい死んでも死にきれない。いやいや、あの人は必ず、来る。私はこの間別れ際に、あの人の目を覗《のぞ》きこんだ時から、そう思わずにはいられなかった。あの人は私を怖《こわ》がっている。私を憎み、私を蔑《さげす》みながら、それでも猶《なお》私を怖がっている。成程私が私自身を頼みにするのだったら、あの人が必ず、来るとは云われないだろう。が、私はあの人を頼みにしている。あの人の利己心を頼みにしている。いや、利己心が起させる卑しい恐怖を頼みにしている。だから私はこう云われるのだ。あの人はきっと忍んで来るのに違いない。……
 しかし私自身を頼みにする事の出来なくなった私は、何と云うみじめな人間だろう。三年前の私は、私自身を、この私の美しさを、何よりもまた頼みにしていた。三年前と云うよりも、あるいはあの日までと云った方が、もっとほんとうに近いかも知れない。あの日、伯母様の家の一間で、あの人と会った時に、私はたった一目見たばかりで、あの人の心に映っている私の醜さを知ってしまった。あの人は何事もないような顔をして、いろいろ私を唆《そその》かすような、やさしい語《ことば》をかけてくれる。が、一度自分の醜さを知った女の心が、どうしてそんな語《ことば》に慰められよう。私はただ、
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