鴇婦の火を擦ってくれる巻煙草の一本を吸いつけていた。が、譚はテエブル越しにちょっと僕の顔を見たぎり、無頓着に筆を揮《ふる》ったらしかった。
 そこへ濶達《かつたつ》にはいって来たのは細い金縁の眼鏡をかけた、血色の好い円顔の芸者だった。彼女は白い夏衣裳《なついしょう》にダイアモンドを幾つも輝かせていた。のみならずテニスか水泳かの選手らしい体格も具《そな》えていた。僕はこう言う彼女の姿に美醜や好悪を感ずるよりも妙に痛切な矛盾を感じた。彼女は実際この部屋の空気と、――殊に鳥籠《とりかご》の中の栗鼠《りす》とは吊《つ》り合《あ》わない存在に違いなかった。
 彼女はちょっと目礼したぎり、躍《おど》るように譚《たん》の側へ歩み寄った。しかも彼の隣に坐《すわ》ると、片手を彼の膝《ひざ》の上に置き、宛囀《えんてん》と何かしゃべり出した。譚も、――譚は勿論《もちろん》得意そうに是了《シイラ》是了《シイラ》などと答えていた。
「これはこの家《うち》にいる芸者《げいしゃ》でね、林大嬌《りんたいきょう》と言う人だよ。」
 僕は譚にこう言われた時、おのずから彼の長沙《ちょうさ》にも少ない金持の子だったのを思い出
前へ 次へ
全23ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング