ったり下ったりしていた。それは窓や戸口に下げた、赤い更紗《さらさ》の布《きれ》と一しょに珍しい見ものに違いなかった。しかし少くとも僕の目には気味の悪い見ものにも違いなかった。
 この部屋に僕等を迎えたのは小肥《こぶと》りに肥った鴇婦《ポオプウ》だった。譚は彼女を見るが早いか、雄弁に何か話し出した。彼女も愛嬌《あいきょう》そのもののように滑かに彼と応対していた。が、彼等の話している言葉は一言も僕にはわからなかった。(これは勿論僕自身の支那語に通じていない為である。しかし元来|長沙《ちょうさ》の言葉は北京《ペキン》官話に通じている耳にも決して容易にはわからないらしい。)
 譚は鴇婦と話した後《のち》、大きい紅木《こうぼく》のテエブルヘ僕と差向いに腰を下ろした。それから彼女の運んで来た活版刷の局票の上へ芸者の名前を書きはじめた。張湘娥《ちょうしょうが》、王巧雲《おうこううん》、含芳《がんほう》、酔玉楼《すいぎょくろう》、愛媛々《あいえんえん》、――それ等はいずれも旅行者の僕には支那小説の女主人公にふさわしい名前ばかりだった。
「玉蘭も呼ぼうか?」
 僕は返事をしたいにもしろ、生憎《あいにく》
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