ぼんやりと光沢《つや》を消して、その水に浮く葱《ねぶか》の屑も、気のせゐか青い色が冷たくない。まして岸を行く往来《ゆきき》の人々は、丸頭巾をかぶつたのも、革足袋をはいたのも、皆|凩《こがらし》の吹く世の中を忘れたやうに、うつそりとして歩いて行く。暖簾《のれん》の色、車の行きかひ、人形芝居の遠い三味線の音《ね》――すべてがうす明い、もの静な冬の昼を、橋の擬宝珠《ぎばうしゆ》に置く町の埃《ほこり》も、動かさない位、ひつそりと守つてゐる……
この時、御堂前南久太郎町《みだうまへみなみきうたらうまち》、花屋仁左衛門の裏座敷では、当時俳諧の大宗匠と仰がれた芭蕉庵松尾|桃青《たうせい》が、四方から集つて来た門下の人人に介抱されながら、五十一歳を一期《いちご》として、「埋火《うづみび》のあたたまりの冷むるが如く、」静に息を引きとらうとしてゐた。時刻は凡そ、申《さる》の中刻にも近からうか。――隔《へだ》ての襖《ふすま》をとり払つた、だだつ広い座敷の中には、枕頭に※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《た》きさした香の煙が、一すぢ昇つて、天下の冬を庭さきに堰《せ》いた、新しい障子の色も、ここばかり
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