ころも》の裾をもそりと畳へひきながら、小さく這ひ出した時分には、芭蕉の断末魔も既にもう、弾指《だんし》の間に迫つたのであらう。顔の色は前よりも更に血の気を失つて、水に濡れた唇の間からも、時々忘れたやうに息が洩れなくなる。と思ふと又、思ひ出したやうにぎくりと喉が大きく動いて、力のない空気が通ひ始める。しかもその喉の奥の方で、かすかに二三度|痰《たん》が鳴つた。呼吸も次第に静になるらしい。その時羽根楊子の白い先を、将《まさ》にその唇へ当てようとしてゐた惟然坊は、急に死別の悲しさとは縁のない、或る恐怖に襲はれ始めた。それは師匠の次に死ぬものは、この自分ではあるまいかと云ふ、殆《ほとんど》無理由に近い恐怖である。が、無理由であればあるだけに、一度《ひとたび》この恐怖に襲はれ出すと、我慢にも抵抗のしやうがない。元来彼は死と云ふと、病的に驚悸《きやうき》する種類の人間で、昔からよく自分の死ぬ事を考へると、風流の行脚《あんぎや》をしてゐる時でも、総身に汗の流れるやうな不気味な恐しさを経験した。従つて又、自分以外の人間が、死んだと云ふ事を耳にすると、まあ自分が死ぬのではなくつてよかつたと、安心したやうな心もちになる。と同時に又、もし自分が死ぬのだつたらどうだらうと、反対の不安をも感じる事がある。これはやはり芭蕉の場合も例外には洩れないで、始《はじめ》まだ彼の臨終がこれ程切迫してゐない中は、――障子に冬晴の日がさして、園女《そのじよ》の贈つた水仙が、清らかな匂を流すやうになると、一同師匠の枕もとに集つて、病間を慰める句作などをした時分は、さう云ふ明暗二通りの心もちの間を、その時次第で徘徊《はいくわい》してゐた。が、次第にその終焉《しゆうえん》が近づいて来ると――忘れもしない初時雨《はつしぐれ》の日に、自ら好んだ梨の実さへ、師匠の食べられない容子を見て、心配さうに木節が首を傾けた、あの頃から安心は追々不安にまきこまれて、最後にはその不安さへ、今度死ぬのは自分かも知れないと云ふ険悪な恐怖の影を、うすら寒く心の上にひろげるやうになつたのである。だから彼は枕もとへ坐つて、刻銘に師匠の唇をしめしてゐる間中、この恐怖に祟《たた》られて、殆末期《ほとんどまつご》の芭蕉の顔を正視する事が出来なかつたらしい。いや、一度は正視したかとも思はれるが、丁度その時芭蕉の喉の中では、痰のつまる音がかすかに聞えた
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