塙団右衛門直之はいつか天下に名を知られた物師《ものし》の一人に数えられていた。のみならず家康の妾《しょう》お万《まん》の方《かた》も彼女の生んだ頼宣《よりのぶ》のために一時は彼に年ごとに二百両の金を合力《ごうりょく》していた。最後に直之は武芸のほかにも大竜和尚《だいりゅうおしょう》の会下《えか》に参じて一字不立《いちじふりゅう》の道を修めていた。家康のこういう直之の首を実検したいと思ったのも必ずしも偶然ではないのだった。……
 しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に控《ひか》えていた成瀬隼人正正成《なるせはいとのしょうまさなり》や土井大炊頭利勝《どいおおいのかみとしかつ》へ問わず語りに話しかけた。
「とかく人と申すものは年をとるに従って情《じょう》ばかり剛《こわ》くなるものと聞いております。大御所《おおごしょ》ほどの弓取もやはりこれだけは下々《しもじも》のものと少しもお変りなさりませぬ。正純も弓矢の故実だけは聊《いささ》かわきまえたつもりでおります。直之の首は一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。それを強《し》いてお目通りへ持って参れと御意《ぎょい》
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