とどまっていた。それは将軍|秀忠《ひでただ》の江戸から上洛《じょうらく》するのを待った後《のち》、大阪の城をせめるためだった。)この使に立ったのは長晟の家来《けらい》、関宗兵衛《せきそうべえ》、寺川左馬助《てらかわさまのすけ》の二人だった。
家康は本多佐渡守正純《ほんださどのかみまさずみ》に命じ、直之の首を実検しようとした。正純は次ぎの間《ま》に退いて静に首桶《くびおけ》の蓋《ふた》をとり、直之の首を内見した。それから蓋の上に卍《まんじ》を書き、さらにまた矢の根を伏せた後《のち》、こう家康に返事をした。
「直之《なおゆき》の首は暑中の折から、頬《ほお》たれ首《くび》になっております。従って臭気も甚だしゅうございますゆえ、御検分《ごけんぶん》はいかがでございましょうか?」
しかし家康は承知しなかった。
「誰も死んだ上は変りはない。とにかくこれへ持って参るように。」
正純《まさずみ》はまた次ぎの間《ま》へ退き、母布《ほろ》をかけた首桶を前にいつまでもじっと坐っていた。
「早うせぬか。」
家康は次ぎの間《ま》へ声をかけた。遠州《えんしゅう》横須賀《よこすか》の徒士《かち》のものだった
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