彦はいつもの通り、とある大木の根がたに腰を卸しながら、余念もなく笛を吹いていますと、たちまち自分の目の前へ、青い勾玉《まがたま》を沢山ぶらさげた、足の一本しかない大男が現れて、
「お前は仲々笛がうまいな。己《おれ》はずっと昔から山奥の洞穴《ほらあな》で、神代《かみよ》の夢ばかり見ていたが、お前が木を伐《き》りに来始めてからは、その笛の音に誘われて、毎日面白い思をしていた。そこで今日はそのお礼に、ここまでわざわざ来たのだから、何でも好きなものを望むが好《い》い。」と言いました。
 そこで木樵《きこり》は、しばらく考えていましたが、
「私《わたくし》は犬が好きですから、どうか犬を一匹下さい。」と答えました。
 すると、大男は笑いながら、
「高が犬を一匹くれなどとは、お前も余っ程欲のない男だ。しかしその欲のないのも感心だから、ほかにはまたとないような不思議な犬をくれてやろう。こう言う己《おれ》は、葛城山《かつらぎやま》の足一《あしひと》つの神だ。」と言って、一声高く口笛を鳴らしますと、森の奥から一匹の白犬が、落葉を蹴立てて駈《か》けて来ました。
 足一つの神はその犬を指して、
「これは名を嗅
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