出せ。」と云いました。と、すぐに白犬は、
「わん、わん、御妹《おいもとご》様の御姫様は笠置山《かさぎやま》の洞穴《ほらあな》に棲《す》んでいる土蜘蛛《つちぐも》の虜《とりこ》になっています。」と、主人の顔を見上げながら、鼻をびくつかせて答えました。この土蜘蛛と云うのは、昔|神武天皇《じんむてんのう》様が御征伐になった事のある、一寸法師《いっすんぼうし》の悪者なのです。
 そこで髪長彦は、前のように二匹の犬を小脇《こわき》にかかえて御姫様と一しょに黒犬の背中へ跨りながら、
「飛べ。飛べ。笠置山の洞穴に住んでいる土蜘蛛の所へ飛んで行け。」と云いますと、黒犬はたちまち空へ飛び上って、これも青雲のたなびく中に聳えている笠置山へ矢よりも早く駈け始めました。

        四

 さて笠置山《かさぎやま》へ着きますと、ここにいる土蜘蛛《つちぐも》はいたって悪知慧《わるぢえ》のあるやつでしたから、髪長彦《かみながひこ》の姿を見るが早いか、わざとにこにこ笑いながら、洞穴《ほらあな》の前まで迎えに出て、
「これは、これは、髪長彦さん。遠方御苦労でございました。まあ、こっちへおはいりなさい。碌《ろく》なものはありませんが、せめて鹿の生胆《いきぎも》か熊の孕子《はらみご》でも御馳走《ごちそう》しましょう。」と云いました。
 しかし髪長彦は首をふって、
「いや、いや、己《おれ》はお前がさらって来た御姫様をとり返しにやって来たのだ。早く御姫様を返せばよし、さもなければあの食蜃人《しょくしんじん》同様、殺してしまうからそう思え。」と、恐しい勢いで叱りつけました。
 すると土蜘蛛は、一ちぢみにちぢみ上って、
「ああ、御返し申しますとも、何であなたの仰有《おっしゃ》る事に、いやだなどと申しましょう。御姫様はこの奥にちゃんと、独りでいらっしゃいます。どうか御遠慮なく中へはいって、御つれになって下さいまし。」と、声をふるわせながら云いました。
 そこで髪長彦は、御姉様の御姫様と三匹の犬とをつれて、洞穴の中へはいりますと、成程ここにも銀の櫛《くし》をさした、可愛らしい御姫様が、悲しそうにしくしく泣いています。
 それが人の来た容子《ようす》に驚いて、急いでこちらを御覧になりましたが、御姉様《おあねえさま》の御顔を一目見たと思うと、
「御姉様。」
「妹。」と、二人の御姫様は一度に両方から駈けよって、暫くは互に抱《だ》き合ったまま、うれし涙にくれていらっしゃいました。髪長彦もこの気色《けしき》を見て、貰い泣きをしていましたが、急に三匹の犬が背中の毛を逆立《さかだ》てて、
「わん。わん。土蜘蛛《つちぐも》の畜生め。」
「憎いやつだ。わん。わん。」
「わん。わん。わん。覚えていろ。わん。わん。わん。」と、気の違ったように吠え出しましたから、ふと気がついてふり返えると、あの狡猾《こうかつ》な土蜘蛛は、いつどうしたのか、大きな岩で、一分の隙《すき》もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。おまけにその岩の向うでは、
「ざまを見ろ、髪長彦め。こうして置けば、貴様たちは、一月とたたない中に、ひぼしになって死んでしまうぞ。何と己様《おれさま》の計略は、恐れ入ったものだろう。」と、手を拍《たた》いて土蜘蛛の笑う声がしています。
 これにはさすがの髪長彦も、さては一ぱい食わされたかと、一時は口惜しがりましたが、幸い思い出したのは、腰にさしていた笛の事です。この笛を吹きさえすれば、鳥獣《とりけもの》は云うまでもなく、草木《くさき》もうっとり聞き惚《ほ》れるのですから、あの狡猾《こうかつ》な土蜘蛛も、心を動かさないとは限りません。そこで髪長彦は勇気をとり直して、吠えたける犬をなだめながら、一心不乱に笛を吹き出しました。
 するとその音色《ねいろ》の面白さには、悪者の土蜘蛛も、追々《おいおい》我を忘れたのでしょう。始は洞穴の入口に耳をつけて、じっと聞き澄ましていましたが、とうとうしまいには夢中になって、一寸二寸と大岩を、少しずつ側《わき》へ開きはじめました。
 それが人一人通れるくらい、大きな口をあいた時です。髪長彦は急に笛をやめて、
「噛め。噛め。洞穴の入口に立っている土蜘蛛を噛み殺せ。」と、斑犬《ぶちいぬ》の背中をたたいて、云いつけました。
 この声に胆をつぶして、一目散に土蜘蛛は、逃げ出そうとしましたが、もうその時は間に合いません。「噛め」はまるで電《いなずま》のように、洞穴の外へ飛び出して、何の苦もなく土蜘蛛を噛み殺してしまいました。
 所がまた不思議な事には、それと同時に谷底から、一陣の風が吹き起って、
「髪長彦さん。難有《ありがと》う。この御恩は忘れません。私《わたし》は土蜘蛛にいじめられていた、笠置山《かさぎやま》の笠姫《かさひめ》です。」とやさしい声が
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