聞えました。

        五

 それから髪長彦《かみながひこ》は、二人の御姫様と三匹の犬とをひきつれて、黒犬の背に跨がりながら、笠置山《かさぎやま》の頂から、飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》の御出になる都の方へまっすぐに、空を飛んでまいりました。その途中で二人の御姫様は、どう御思いになったのか、御自分たちの金の櫛と銀の櫛とをぬきとって、それを髪長彦の長い髪へそっとさして御置きになりました。が、こっちは元よりそんな事には、気がつく筈がありません。ただ、一生懸命に黒犬を急がせながら、美しい大和《やまと》の国原《くにはら》を足の下に見下して、ずんずん空を飛んで行きました。
 その中に髪長彦は、あの始めに通りかかった、三つ叉《また》の路の空まで、犬を進めて来ましたが、見るとそこにはさっきの二人の侍が、どこからかの帰りと見えて、また馬を並べながら、都の方へ急いでいます。これを見ると、髪長彦は、ふと自分の大手柄を、この二人の侍たちにも聞かせたいと云う心もちが起って来たものですから、
「下りろ。下りろ。あの三つ叉《また》になっている路の上へ下りて行け。」と、こう黒犬に云いつけました。
 こっちは二人の侍です。折角方々探しまわったのに、御姫様たちの御行方がどうしても知れないので、しおしお馬を進めていると、いきなりその御姫様たちが、女のような木樵《きこり》と一しょに、逞《たくま》しい黒犬に跨って、空から舞い下って来たのですから、その驚きと云ったらありません。
 髪長彦は犬の背中を下りると、叮嚀にまたおじぎをして、
「殿様、私《わたくし》はあなた方に御別れ申してから、すぐに生駒山《いこまやま》と笠置山《かさぎやま》とへ飛んで行って、この通《とお》り御二方の御姫様を御助け申してまいりました。」と云いました。
 しかし二人の侍は、こんな卑しい木樵《きこり》などに、まんまと鼻をあかされたのですから、羨《うらやま》しいのと、妬《ねた》ましいのとで、腹が立って仕方がありません。そこで上辺《うわべ》はさも嬉しそうに、いろいろ髪長彦の手柄を褒《ほ》め立てながら、とうとう三匹の犬の由来や、腰にさした笛の不思議などをすっかり聞き出してしまいました。そうして髪長彦の油断をしている中に、まず大事な笛をそっと腰からぬいてしまうと、二人はいきなり黒犬の背中へとび乗って、二人の御姫様と二匹の犬とを、しっかりと両脇に抱えながら、
「飛べ。飛べ。飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》のいらっしゃる、都の方へ飛んで行け。」と、声を揃えて喚《わめ》きました。
 髪長彦は驚いて、すぐに二人へとびかかりましたが、もうその時には大風が吹き起って、侍たちを乗せた黒犬は、きりりと尾を捲《ま》いたまま、遥な青空の上の方へ舞い上って行ってしまいました。
 あとにはただ、侍たちの乗りすてた二匹の馬が残っているばかりですから、髪長彦は三つ叉になった往来のまん中につっぷして、しばらくはただ悲しそうにおいおい泣いておりました。
 すると生駒山《いこまやま》の峰の方から、さっと風が吹いて来たと思いますと、その風の中に声がして、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私《わたし》は生駒山の駒姫《こまひめ》です。」と、やさしい囁《ささや》きが聞えました。
 それと同時にまた笠置山《かさぎやま》の方からも、さっと風が渡るや否や、やはりその風の中にも声があって、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私《わたし》は笠置山の笠姫《かさひめ》です。」と、これもやさしく囁きました。
 そうしてその声が一つになって、
「これからすぐに私《わたし》たちは、あの侍たちの後《あと》を追って、笛をとり返して上げますから、少しも御心配なさいますな。」と云うか云わない中《うち》に、風はびゅうびゅう唸りながら、さっき黒犬の飛んで行った方へ、狂って行ってしまいました。
 が、少したつとその風は、またこの三つ叉《また》になった路の上へ、前のようにやさしく囁きながら、高い空から下《おろ》して来ました。
「あの二人の侍たちは、もう御二方の御姫様と一しょに、飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》の前へ出て、いろいろ御褒美《ごほうび》を頂いています。さあ、さあ、早くこの笛を吹いて、三匹の犬をここへ御呼びなさい。その間《あいだ》に私たちは、あなたが御出世の旅立を、恥しくないようにして上げましょう。」
 こう云う声がしたかと思うと、あの大事な笛を始め、金の鎧《よろい》だの、銀の兜《かぶと》だの、孔雀《くじゃく》の羽の矢だの、香木《こうぼく》の弓だの、立派な大将の装いが、まるで雨か霰《あられ》のように、眩《まぶ》しく日に輝きながら、ばらばら眼の前へ降って来ました。

        六

 それからしばらくたって、香木の弓に孔雀の羽の矢を背負《しょ》った、神様の
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