ような髪長彦《かみながひこ》が、黒犬の背中に跨りながら、白と斑《ぶち》と二匹の犬を小脇にかかえて、飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》の御館《おやかた》へ、空から舞い下って来た時には、あの二人の年若な侍たちが、どんなに慌て騒ぎましたろう。
いや、大臣様でさえ、あまりの不思議に御驚きになって、暫くはまるで夢のように、髪長彦の凜々《りり》しい姿を、ぼんやり眺めていらっしゃいました。
が、髪長彦はまず兜《かぶと》をぬいで、叮嚀に大臣様に御じぎをしながら、
「私《わたくし》はこの国の葛城山《かつらぎやま》の麓に住んでいる、髪長彦と申すものでございますが、御二方の御姫様を御助け申したのは私で、そこにおります御侍たちは、食蜃人《しょくしんじん》や土蜘蛛《つちぐも》を退治するのに、指一本でも御動かしになりは致しません。」と申し上げました。
これを聞いた侍たちは、何しろ今までは髪長彦の話した事を、さも自分たちの手柄らしく吹聴していたのですから、二人とも急に顔色を変えて、相手の言《ことば》を遮りながら、
「これはまた思いもよらない嘘をつくやつでございます。食蜃人の首を斬ったのも私《わたくし》たちなら、土蜘蛛《つちぐも》の計略を見やぶったのも、私たちに相違ございません。」と、誠しやかに申し上げました。
そこでまん中に立った大臣様《おおおみさま》は、どちらの云う事がほんとうとも、見きわめが御つきにならないので、侍たちと髪長彦を御見比べなさりながら、
「これはお前たちに聞いて見るよりほかはない。一体お前たちを助けたのは、どっちの男だったと思う。」と、御姫様たちの方を向いて、仰有《おっしゃ》いました。
すると二人の御姫様は、一度に御父様の胸に御すがりになりながら、
「私《わたし》たちを助けましたのは、髪長彦でございます。その証拠には、あの男のふさふさした長い髪に、私たちの櫛をさして置きましたから、どうかそれを御覧下さいまし。」と、恥しそうに御云いになりました。見ると成程、髪長彦の頭には、金の櫛と銀の櫛とが、美しくきらきら光っています。
もうこうなっては侍たちも、ほかに仕方はございませんから、とうとう大臣様の前にひれ伏して、
「実は私《わたくし》たちが悪だくみで、あの髪長彦の助けた御姫様を、私たちの手柄のように、ここでは申し上げたのでございます。この通り白状致しました上は、どうか命ばかりは御助け下さいまし。」と、がたがたふるえながら申し上げました。
それから先の事は、別に御話しするまでもありますまい。髪長彦は沢山御褒美を頂《いただ》いた上に、飛鳥《あすか》の大臣様の御婿様《おむこさま》になりましたし、二人の若い侍たちは、三匹の犬に追いまわされて、ほうほう御館《おやかた》の外へ逃げ出してしまいました。ただ、どちらの御姫様が、髪長彦の御嫁さんになりましたか、それだけは何分昔の事で、今でははっきりとわかっておりません。
[#地から1字上げ](大正七年十二月)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2004年3月8日修正
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