面に与へるか、それは雲林も知つてゐたかどうか分らない。が、伸した為に或効果が生ずる事は、百も承知してゐたのだ。もし承知してゐなかつたとしたら、雲林は、天才でも何でもない。唯、一種の自働偶人なのだ。
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無意識的芸術活動とは、燕の子安貝《こやすがひ》の異名に過ぎぬ。だからこそロダンはアンスピラシオンを軽蔑したのだ。
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昔セザンヌは、ドラクロアが好い加減な所に花を描いたと云ふ批評を聞いて、むきになつて反対した事がある。セザンヌは唯、ドラクロアを語るつもりだつたかも知れぬ。が、その反対の中にはセザンヌ自身の面目が、明々白地に顕れてゐる。芸術的感激を齎《もたら》すべき或必然の方則を捉へる為なら、白汗百回するのも辞せなかつた、あの恐るべきセザンヌの面目が。
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この必然の方則を活用する事が、即謂ふ所の技巧なのだ。だから技巧を軽蔑するものは、始から芸術が分らないか、さもなければ技巧と云ふ言葉を悪い意味に使つてゐるか、この二者の外に出でぬと思ふ。悪い意味に使つて置いて、いかんいかんと威張つてゐるのは、菜食を吝嗇《りんしよく》の別名だ
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