と思つて、天下の菜食論者を悉しみつたれ呼はりするのと同じ事だ。そんな軽蔑が何になる。凡て芸術家はいやが上にも技巧を磨くべきものだ。前の倪雲林の例で云へば、或効果を生ずる為に松の枝を一方に伸すと云ふこつ[#「こつ」に傍点]をいやが上にも呑みこむべきものだ。霊魂で書く。生命で書く。――さう云ふ金箔ばかりけばけばしい言葉は、中学生にのみ向つて説教するが好い。
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 単純さは尊い。が、芸術に於ける単純さと云ふものは、複雑さの極まつた単純さなのだ。〆木《しめぎ》をかけた上にも〆木をかけて、絞りぬいた上の単純さなのだ。その単純さを得るまでには、どの位創作的苦労を積まなければならないか、この局所に気のつかないものは、六十劫《ろくじふごふ》の流転を閲《けみ》しても、まだ子供のやうに喃々《なん/\》としやべり乍《なが》ら、デモステネス以上の雄弁だと己惚《うぬぼ》れるだらう。そんな手軽な単純さよりも、寧ろ複雑なものゝ方が、どの位ほんたうの単純さに近いか知れないのだ。
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 危険なのは技巧ではない。技巧を駆使する小器用さなのだ。小器用さは真面目さの足りない所を胡麻化し
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