も、悪口を云つて云へないと云ふ作品はない。賢明な批評家のなすべき事は、唯その悪口が一般に承認されさうな機会を捉へる事だ。さうしてその機会を利用して、その作家の前途まで巧に呪つてしまふ事だ。かう云ふ呪は二重に利き目がある。世間に対しても。その作家自身に対しても。」
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芸術が分る分らないは、言詮《ごんせん》を絶した所にあるのだ。水の冷暖は飲んで自知する外はないと云ふ。芸術が分るのも之と違ひはない。美学の本さへ読めば批評家になれると思ふのは、旅行案内さへ読めば日本中どこへ行つても迷はないと思ふやうなものだ。それでも世間は瞞着《まんちやく》されるかも知れぬ。が、芸術家は――いや恐らくは世間もサンタヤアナだけでは――。
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僕は芸術上のあらゆる反抗の精神に同情する。たとひそれが時として、僕自身に対するものであつても。
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芸術活動はどんな天才でも、意識的なものなのだ。と云ふ意味は、倪雲林《げいうんりん》が石上の松を描く時に、その松の枝を悉《ことごとく》途方もなく一方へ伸したとする。その時その松の枝を伸した事が、どうして或効果を画
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