づか》ら今の失敗が、彼の一生の労作に、暗い影を投げるやうな――彼自身の実力が根本的に怪しいやうな、忌《いま》はしい不安を禁じる事が出来ない。
「自分はさつきまで、本朝《ほんてう》に比倫を絶した大作を書くつもりでゐた。が、それもやはり事によると、人並に己惚《うぬぼ》れの一つだつたかも知れない。」
かう云ふ不安は、彼の上に、何よりも堪へ難い、落莫たる孤独の情を齎《もたら》した。彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜《けんそん》である事を忘れるものではない。が、それ丈に又、同時代の屑々《せつせつ》たる作者輩に対しては、傲慢《がうまん》であると共に飽迄《あくまで》も不遜である。その彼が、結局自分も彼等と同じ能力の所有者だつたと云ふ事を、さうして更に厭《いと》ふ可き遼東《れうとう》の豕《し》だつたと云ふ事は、どうして安々と認められよう。しかも彼の強大な「我《が》」は「悟り」と「諦め」とに避難するには余りに情熱に溢れてゐる。
彼は机の前に身を横へた儘、親船の沈むのを見る、難破した船長の眼で、失敗した原稿を眺めながら、静に絶望の威力と戦ひつづけた。もしこの時、彼の後の襖《ふすま》が、けたた
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