「今日は拝借した書物を御返却|旁《かたがた》、御目にかけたいものがあつて、参上しました。」
 崋山は書斎に通ると、果してかう云つた。見れば風呂敷包みの外にも紙に巻いた絵絹《ゑぎぬ》らしいものを持つてゐる。
「御暇なら一つ御覧を願ひませうかな。」
「おお、早速、拝見しませう。」
 崋山は或興奮に似た感情を隠すやうに、稍《やや》わざとらしく微笑しながら、紙の中の絵絹を披《ひら》いて見せた。絵は蕭索《せうさく》とした裸の樹を、遠近《をちこち》と疎《まばら》に描いて、その中に掌《たなごころ》を拊《う》つて談笑する二人の男を立たせてゐる。林間に散つてゐる黄葉と、林梢《りんせう》に群《むらが》つてゐる乱鴉《らんあ》と、――画面のどこを眺めても、うそ寒い秋の気が動いてゐない所はない。
 馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得《かんざんじつとく》に落ちると、次第にやさしい潤《うるほ》ひを帯びて輝き出した。
「何時もながら、結構な御出来ですな。私は王摩詰《わうまきつ》を思ひ出します。|食随[#二]鳴磬[#一]巣烏下《しよくはめいけいにしたがひさううくだり》、|行踏[#二]空林[#一]落葉声《ゆいてくうりんをふ
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