立ててゐるらしい。馬琴は一旦風呂を出ようとしたが、やめて、ぢつとその批評を聞き澄ました。
「曲亭先生の、著作堂主人のと、大きな事を云つたつて、馬琴なんぞの書くものは、みんなありや焼直しでげす。早い話が八犬伝は、手もなく水滸伝《すゐこでん》の引写しぢやげえせんか。が、そりやまあ大目に見ても、いい筋がありやす。何しろ先が唐《から》の物でげせう。そこで、まづそれを読んだと云ふ丈でも、一手柄さ。所がそこへ又づぶ京伝《きやうでん》の二番煎《にばんせん》じと来ちや、呆れ返つて腹も立ちやせん。」
馬琴はかすむ眼で、この悪口を云つてゐる男の方を透《すか》して見た。湯気に遮《さへぎ》られて、はつきりと見えないが、どうもさつき側にゐた眇《すがめ》の小銀杏ででもあるらしい。さうとすればこの男は、さつき平吉が八犬伝を褒めたのに業《ごふ》を煮やして、わざと馬琴に当りちらしてゐるのであらう。
「第一馬琴の書くものは、ほんの筆先一点張りでげす。まるで腹には、何にもありやせん。あればまづ寺子屋《てらこや》の師匠でも云ひさうな、四書五経《ししよごきやう》の講釈だけでげせう。だから又当世の事は、とんと御存じなしさ。それ
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