ある。僕は傍らにゐた芸者を顧み、「妙な顔が映《うつ》つてゐる」と言つた。芸者は始は常談《じやうだん》にしてゐた。けれども僕の座に坐るが早いか、「あら、ほんたうに見えるわ」と言つた。菊池や久米も替《かは》る替《がは》る僕の座に来て坐つて見ては、「うん、見えるね」などと言ひ合つていた。それは久米の発見によれば、麦酒《ビイル》罎の向うに置いてある杯洗《はいせん》や何かの反射だつた。しかし僕は何《なん》となしに凶《きよう》を感ぜずにはゐられなかつた。
 大正十五年の正月十日、僕はやはりタクシイに乗り、本郷《ほんがう》通りを一高の横から藍染橋《あゐそめばし》へ下《くだ》らうとしてゐた。するとあの唐艸《からくさ》をつけた、葬式に使ふ自動車が一台、もう一度僕のタクシイの前にぼんやりと後ろを現し出した。僕はまだその時までは前に挙げた幾つかの現象を聯絡《れんらく》のあるものとは思はなかつた。しかしこの自動車を見た時、――殊にその中の棺を見た時、何ものか僕に冥々《めいめい》の裡《うち》に或警告を与へてゐる、――そんなことをはつきり感じたのだつた。
(大正十五年四月十三日|鵠沼《くげぬま》にて浄書)[#地か
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