と僕等の頭の上を眺めた。頭の上には澄み渡つた空に黒ぐろとアカシヤが枝を張つてゐた。のみならずその又枝の間《あひだ》に人の脚《あし》が二本ぶら下つてゐた。僕は「あつ」と言つて走り出した。室生も亦《また》僕のあとから「どうした? どうした?」と言つて追ひかけて来た。僕はちよつと羞《はづか》しかつたから、何《なん》とか言つて護摩化《ごまか》してしまつた。
 大正十四年の夏、僕は菊池寛《きくちひろし》、久米正雄《くめまさを》、植村宋一《うゑむらそういち》、中山太陽堂《なかやまたいやうだう》社長などと築地《つきぢ》の待合《まちあひ》に食事をしてゐた。僕は床柱《とこばしら》の前に坐り、僕の右には久米正雄、僕の左には菊池寛、――と云ふ順序に坐つてゐたのである。そのうちに僕は何かの拍子《ひやうし》に餉台《ちやぶだい》の上の麦酒罎《ビイルびん》を眺めた。するとその麦酒罎には人の顔が一つ映《うつ》つてゐた。それは僕の顔にそつくりだつた。しかし何も麦酒罎は僕の顔を映してゐた訣《わけ》ではない。その証拠には実在の僕は目を開いてゐたのにも関《かかは》らず、幻の僕は目をつぶつた上、稍仰向《ややあふむ》いてゐたので
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