のぼ》る為に、生えて来た竹だと云ふ気がする。これなら町中《まちなか》へ生えてゐても、勿論少しも差支《さしつか》へはない。何《なん》なら祗園《ぎをん》のまん中にでも、光悦《くわうえつ》の蒔絵《まきゑ》にあるやうな太いやつが二三本、玉立《ぎよくりつ》してゐてくれたら、猶更《なほさら》以て結構だと思ふ。
   裸根《はだかね》も春雨竹《はるさめだけ》の青さかな
 大阪へ行つて、龍村《たつむら》さんに何か書けと云はれた時、自分は京都の竹を思ひ出して、こんな句を書いた。それ程竹の多い京都の竹は、京都らしく出来上つてゐるのである。

     舞妓《まひこ》

 上木屋町《かみきやまち》のお茶屋で、酒を飲んでゐたら、そこにゐた芸者が一人、むやみにはしやぎ廻つた。それが自分には、どうも躁狂《さうきやう》の下地《したぢ》らしい気がした。少し気味が悪くなつたから、その方《はう》の相手を小林《こばやし》君に一任して、隣にゐた舞妓《まひこ》の方を向くと、これはおとなしく、椿餅《つばきもち》を食べてゐる。生際《はえぎは》の白粉《おしろい》が薄くなつて、健康らしい皮膚が、黒く顔を出してゐる丈《だけ》でも、こつちの方が遙《はるか》に頼もしい気がする。子供らしくつて可愛《かはい》かつたから、体操を知つてゐるかいと訊《き》いて見た。すると、体操は忘れたが、縄飛びなら覚えてゐると云ふ答へがあつた。ぢややつてお見せと云ひたかつたが、三味線《しやみせん》の音《ね》がし出したから見合せた。尤《もつと》もさう云つても、恐らくやりはしなかつたらう。
 この三味線《しやみせん》に合せて、小林君が大津絵《おほつゑ》のかへ唄を歌つた。何《なん》でも文句《もんく》は半切《はんせつ》に書いたのが内にしまつてあつて、それを見ながらでないと、理想的には歌へないのださうである。時々あぶなくなると、そこにゐた二三人の芸者が加勢をした。更にその芸者があぶなくなると、おまつさんなる老妓《らうぎ》が加勢をした。その色々の声が、大津絵を補綴《ほてつ》して行く工合《ぐあひ》は、丁度《ちやうど》張《は》り交《ま》ぜの屏風《びやうぶ》でも見る時と、同じやうな心もちだつた。自分は可笑《をか》しくなつたから、途中であははと笑ひ出した。すると小林君もそれに釣りこまれて、とうとう自分で大津絵を笑殺《せうさつ》してしまつた。後はおまつさんが独りでしま
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