ら賢明な車夫にしても到底《たうてい》満足に帰られなからう。
困つたなと思つてゐると、車夫が桐油《とうゆ》を外《はづ》してこの辺ぢやおへんかと云ふ。提灯《ちやうちん》の明りで見ると、車の前には竹藪があつた。それが暗の中に万竿《ばんかん》の青《せい》をつらねて、重なり合つた葉が寒さうに濡《ぬれ》て光つてゐる。自分は大へんな所へ来たと思つたから、こんな田舎《ゐなか》ぢやないよ、横町《よこちやう》を二つばかり曲ると、四条《しでう》の大橋《おほはし》へ出る所なんだと説明した。すると車夫が呆《あき》れた顔をして、ここも四条の近所どすがなと云つた。そこでへええ、さうかね、ぢやもう少し賑《にぎや》かな方《はう》へ行つて見てくれ、さうしたら分るだらうと、まあ一時を糊塗《こと》して置いた。所がその儘、車が動き出して、とつつきの横丁を左へ曲つたと思ふと、突然|歌舞練場《かぶれんぢやう》の前へ出てしまったから奇体《きたい》である。それも丁度《ちやうど》都踊《みやこをど》りの時分だつたから、両側には祗園団子《ぎをんだんご》の赤い提灯が、行儀《ぎやうぎ》よく火を入れて並んでゐる。自分は始めてさつきの竹藪が、建仁寺《けんにんじ》だつたのに気がついた。が、あの暗を払つてゐる竹藪と、この陽気な色町《いろまち》とが、向ひ合つてゐると云ふ事は、どう考へても、嘘のやうな気がした。その後《のち》、宿へは無事に辿《たど》りついたが、当時の狐につままれたやうな心もちは、今日《けふ》でもはつきり覚えてゐる。……
それ以来自分が気をつけて見ると、京都|界隈《かいわい》にはどこへ行つても竹藪がある。どんな賑《にぎやか》な町中《まちなか》でも、こればかりは決して油断が出来ない。一つ家並《やなみ》を外《はづ》れたと思ふと、すぐ竹藪が出現する。と思ふと、忽ち又町になる。殊に今云つた建仁寺《けんにんじ》の竹藪の如きは、その後《のち》も祗園《ぎをん》を通りぬける度に、必ず棒喝《ぼうかつ》の如く自分の眼前へとび出して来たものである。……
が、慣れて見ると、不思議に京都の竹は、少しも剛健な気がしない。如何《いか》にも町慣れた、やさしい竹だと云ふ気がする。根が吸ひ上げる水も、白粉《おしろい》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひがしてゐさうだと云ふ気がする。もう一つ形容すると、始めから琳派《りんは》の画工の筆に上《
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